こんにちは!神奈川県にある小さな街、開成町。何故「開成町」が100年後も若年女性が五割近く残る自立持続可能性自治体として指定されたのか、その土台となったお話をしていきます。
持続可能な自治体になる最初の話
1960年代、ここは水田が広がる静かな場所でした。小田急線は通っていたものの現在の「開成駅」というのはありませんでした。
その時に、開成駅を新設し、小田原に次ぐ都市にすると言い立ち上がった町長さんが登場します。 露木甚造さんです。街を変える大きな計画と熱い情熱を持っていたのです!
(書いてみました!ぜひ皆さんも調べてみてください!笑)
目標掲げたら即実行
露木さんは1963年から1983年まで町長を務め、その間に彼の情熱と行動力で多くの変革を実現しました。日本が都市計画法でまちづくりを推進していた時期に、人口基準に達していないにも関わらず、彼の気迫で建設省に開成町を都市計画区域に編入させたんです。決してあきらめずにぶつけていったこの力は本当にすごいと思います。
地域との協力
持続可能なまちづくりのため、露木さんは住民にも協力してもらう必要がありました。しかし、当時はまだそういった概念が浸透していなかったので、かなり大変だったのです。住民にも強制が加わる中で不満が多い中、彼は未来の食糧危機にも備えて、農業を守りつつ、生活しやすい町を目指して頑張ってきました。
住民に嫌われる勇気、選挙の戦い
彼の町長としてのキャリアは、無投票当選もあれば、激しい戦いもありました。多くの立候補者が住民の意向を聞く中、露木さんは時に住民に嫌われることも恐れず、自分の信念を貫いたんです。これって、めちゃくちゃ勇気がいることですよね。
彼の遺したもの
残念ながら、開成駅が完成したのは彼の死後の1985年でした。彼自身はそれを見ることはできませんでしたが、彼の努力が今の開成町を支えています。そして、それはただの始まりに過ぎません。彼が耕した土に次は植物を植える必要があります!まだまだ今の開成町ができるまでにはストーリーがあるのでまた紹介します^^
この記事を書いた理由
この話は、大学の講義で受けているまちづくりに関する授業で初めて知りました。その先生がなんと、露木甚造の息子である露木順一先生が講義を行っているのです。彼も開成町での町長、またNHKの記者としても経験があり、物事の捉え方が面白いです!
初めて授業でそのことについて聞いて、まさか自分の住んでる地域の近くでこんなにも素晴らしい地方創生が行われてたとは…住民との衝突がありながらも作っていったとは思いませんでした。
そして、同時に先生は知識を積み重ねるだけでなく、何事も体験、挑戦する大切さを教えていました。何か行動するときって失敗やリスクをつい考えてしまう、おまけにネット情報でメリット、デメリットの情報が溢れてる中で挑戦することに躊躇してしまうこと多いんですよね…。でも、挑戦してきた中で失敗したのもやってみなくてはわからなかったことでもある、それも一つの経験にもなるので、これからの人生や就活にも、失敗を恐れずに挑戦する心が必要だと思いました!
お話しされていたことについて先生の記事があります。また、ブログもあるので是非見てください↓
信念なき地方自治、首長は「ホラ吹いてもウソつくな」【前編】
露木順一ーブログ~つゆき順一と未来を語る
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